%e8%b2%bc%e3%82%8a%e4%bb%98%e3%81%91%e3%81%9f%e7%94%bb%e5%83%8f_2017_01_05_22_33 小野政次(鶴丸)と言えば、大河ドラマ「おんな城主直虎」のキーパーソンにあたる人物です。

ですが、この武将について詳しい方はそう多くは無いのではないでしょうか。

そこで今回は、小野政次(鶴丸)をはじめ、父親の小野政直や弟の小野玄蕃といった、ドラマに登場する小野家の人々についてご紹介します。

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小野政次(鶴丸)とはどのような人物だったのか


ドラマでは俳優の高橋一生さん演じる小野政次(鶴丸)は、戦国時代の井伊家に家老として仕えた人物です。当時は「小野道好(みちよし)」「小野但馬守(たじまのかみ)」という名前で呼ばれた一方で、生年は明らかになっていない等、その生涯は明らかになっていない部分も少なからずあるようです。

「おんな城主直虎」では、三浦春馬さん演じる井伊直親との友情が強調される小野政次ですが、この2人は政次の父親が直親の父親の死に大きく関わっている事から、その関係は決して良好なものではなかったようです。桶狭間の戦いによって今川義元が戦死し、直親が徳川家康との関係を強めようと知った政次は、今川家の跡を継いだ氏真に直親が謀反を企てていると訴えます。これに激怒する氏真。直親は身の潔白を訴えるために氏真へ面会を求めますが、掛川で今川家の家臣、朝比奈泰朝に殺されてしまうのです…。

つまり直親の死には、小野政次が大きく関わっていると言えるでしょう。更に政次は井伊家乗っ取りを企てるべく、今川氏真による徳政令の実施を拒絶する井伊直虎の政治を妨害したり、1568年に武田信玄が駿河国に侵攻してきた際には、氏真の命令を受けて井伊谷城を乗っ取って戦いに加わるよう命令を受けています。当時滅亡寸前にあった井伊家にとって、政次の行動は非常に恐ろしいものだったのかもしれません。

井伊谷にいた直虎や幼い井伊直政を追放した小野政次ですが、そこに介入してきたのが徳川家康でした。家康は「井伊谷三人衆」と呼ばれる3人の武将に、政次から井伊谷城を奪還するよう命じます。今川家の援軍が無かったためか、あるいは三人衆の武将たちが強かったのか、政次はこの戦いに敗北。逃れようとした所を捕らえられ、息子2人と共に処刑されてしまいました。政次の最後は、「おんな城主直虎」では1つのターニングポイントになりそうな気がしますね。

※参照:井伊谷三人衆とは?井伊直虎との関係やその後も解説!

小野政次の父親にあたる小野政直とは?


小野政次(鶴丸)と言えば、父親の小野政直の事が気になる方もいると思います。大河ドラマ「おんな城主直虎」では俳優の吹越満さんが演じる小野政直とは、一体どのような人物だったのでしょうか。

小野政直の生年は明らかになっていないのですが、井伊直虎の祖父にあたる井伊直平に仕えた小野兵庫助という人物の子供にあたる事は分かっているようです。政直も父の兵庫助と同様井伊家に仕えていたようですが、直平の子供にあたる井伊直満と対立。その背景には、井伊家当主で跡継ぎが居なかった直盛が、直満の息子にあたる亀之丞(井伊直親)を養子にした事があったようです。

もともと小野政直らを輩出した小野家は、遣隋使として知られる小野妹子や、平安時代の書道の達人の称号である「三蹟」の一人である小野道風を輩出した名門。1032年に誕生した井伊家を下に見ていたものもあったのかもしれません。
1544年、政直は駿河の今川義元に、主君筋にあたる井伊直満とその弟にあたる直義が謀反を企てていると訴えます。そのため、この2人は殺されてしまうのです…
(おんな城主直虎の1話は、この井伊直満の死から始まる事になっています)

その後、直満の子供である亀之丞まで殺そうとした政直でしたが、これに危機を感じた今村正実という井伊家の家臣により亀之丞は信濃に逃され、政直の計画は失敗に当たります。これだけ主君に害を与えた家老なら厄介者扱いされそうですが、政直は1554年に亡くなるまで、井伊家の家老として一生を終えました。井伊家にとっては、政直を始末できない何かしらの事情があったのかもしれませんね。

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小野政次の弟、小野玄蕃ってどんな人?


この小野政直ですが、嫡男の政次(鶴丸)以外にも朝直という息子がいました。
ドラマでは「小野玄蕃」という名前で、俳優の井上芳雄さんが演じられている人物です。
小野政次の弟にあたるこの小野玄蕃、一体どのような武将だったのでしょうか?

小野玄蕃も父や兄と同様、生年は明らかになっていません。ただ上記の2人とは異なり、井伊家との関係は悪くはなかったと言われています。正室は井伊直親の妻、ひよの実家にあたる奥山家の女性(おんな城主直虎では女優の山口紗弥加さん演じる「なつ」という人物です)にあたり、二人の間には嫡男の小野朝之が産まれています。

小野玄蕃は1560年、井伊直盛と共に桶狭間の戦いに出陣し、そこで戦死したと言われています。ただし嫡男の朝之は政次やその子供達が処刑されても生き延び、1575年に井伊直政が徳川家康に仕えた時に共に徳川家に仕えたと言われています。
政次やその子供たちは殺され、小野家の血筋は絶えたのではないかという気がしますが、実際は小野玄蕃や朝之の家系が続いていたのですね。

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この記事のまとめ


大河ドラマ「おんな城主直虎」に登場する小野家の3人の人物についてご紹介しました。

・小野政次(鶴丸)
・小野政直
・小野玄蕃


小野政次や政直が井伊家の人々を追い落とそうとしていたのに対し、小野玄蕃やその子供である小野朝之の場合は決して井伊家との関係が悪くなかった事が興味深いですね。これは井伊家が一枚岩では無かったのか、それとも「真田丸」でおなじみの真田家のように、一族内で敵味方に分かれて戦う事を了承していたのか…。遠江小野家の研究が今後進んでいけば、この辺りの事も明らかになるかもしれませんね。