井伊家の居城として有名なのは彦根城ですよね。

実は、井伊家が彦根城を居城としたのは関ヶ原の戦い以降のことであり、それ以前の井伊家は「井伊谷城」(いいのやじょう)というお城を居城にしていました。

その井伊谷城は一体どこにあるのでしょうか?

今回は井伊谷城の歴史を追うとともに、現在どうなっているのかについても解説します。

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井伊谷城はどこにあるのか?


井伊谷城(いいのやじょう)は1010年頃に遠江国(現在の静岡県浜松市)に築かれたお城です。

分類としては山城に属するのですが、標高100メートル程度のなだらかな丘の上に作られているのも特徴です。城の左右には川が流れており、周囲は高さ3メートルから5メートルの土塁で囲まれていました。


次の項目で詳しく触れますが、井伊谷城の歴史は古く、平安時代までさかのぼります。

築城主は井伊共保と伝えられており、以来約580年に渡って井伊家が治めています。
城の周囲には井伊家の菩提寺である「龍潭寺」や「井殿の塚」が位置し、あたり一帯は現在でも「井伊谷(いいのや)」という地名が残っています。

井伊谷城は井伊家発祥の城と言えそうですね。

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井伊谷城の歴史について解説!


井伊谷城の歴史について詳しく見てみましょう。

井伊谷城は1010年頃、遠江国の国司を務めていた藤原共資の息子である藤原共保(土着し、後に井伊共保を名乗ったとされる)によって築かれたと言われています。


井伊谷城が歴史の表舞台に登場するのは南北朝時代のことで、1337年に井伊道政が後醍醐天皇の皇子である宗良親王をお迎えしたという記録が残っています。しかし、南北朝の争いが激しくなった1339年から40年にかけて北朝方の高師泰や仁木義長たちに攻められ、落城しました。

南北朝時代以降、井伊家は今川氏に従うことになります。1560年に桶狭間の戦いが起こると、22代目当主である井伊直盛が戦死してしまいます。1562年には直盛の跡を継いだ井伊直親が謀反の疑いにより謀殺されると、井伊家は存続の危機に陥りました。


そこで、直盛の娘であり、直親の婚約者でもあった井伊直虎が、「女領主」として井伊谷城を居城に井伊家を支えます。井伊谷城は1568年に一時小野政次に奪われてしまいますが、直虎は徳川家康の力を借りてすぐに奪還しました。1572年には武田信玄の侵略をうけますが、翌年には信玄が死去したため、井伊谷城は再び直虎の支配下に入ります。

※参照:小野政次(鶴丸)とは?父の小野政直や弟の小野玄蕃も解説

1590年、直虎の跡を継いだ井伊直政が家康に従って関東に移ると、井伊谷城は廃城されました。

こうして井伊谷城は井伊家発祥から約580年の歴史を閉じたのです。

井伊谷城は現在どうなっているの?


戦国時代の最中にその歴史を閉じた井伊谷城ですが、現在はどうなっているのでしょうか。

井伊谷城の跡地は、現在は「井伊谷城跡城山公園」として整備されています。

土塁状の固まりが遺構として残る程度ですが、山頂からは浜松市内が一望できます。城山の東山麓には宗良親王を祀った二宮神社と親王の御念持仏を祀った足切観音堂があります。


城そのものは残っていませんが、井伊家の歴史や直虎が女領主として奮闘した縁を感じることができるかもしれませんね。

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この記事のまとめ


井伊家発祥以来、580年に渡って遠江国に君臨し続けた井伊谷城
その歴史は古く、平安時代にまで遡ります。

南北朝の戦いや桶狭間の戦いなど有名な戦の舞台の一つになるとともに、1560年代に起こった井伊家存続の危機には、女領主・井伊直虎を誕生させました。女領主の城という特異な歴史を持つことも、井伊谷城の特徴の一つと言えるのではないでしょうか。

井伊谷城は直虎の跡を継いだ井伊直政が徳川家康のもとで出世をしていくのを見届けるようにしてその役目を終えました。現在は城の遺構が少し残る程度ですが、2017年の大河ドラマ「おんな城主直虎」の放送に合わせて注目が高まっていくのではないでしょうか。


なお、「おんな城主直虎」の放送に合わせて注目が集まりそうな城と言えば、徳川家康が居城としていた浜松城も挙げられます。以下の記事では浜松城の歴史について解説しているので、興味があれば一度ご覧になってみて下さいね。

※参照:浜松城と徳川家康の関わりや江戸時代以降の歴史について解説