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大河ドラマ「おんな城主直虎」の放送によって、ドラマの舞台となる浜松が多くの観光客が訪れるという事で非常に盛り上がっています。

その一方で、浜松の歴史について気になる!ってかそもそも地元の歴史って全然知らなかった…という方も少なからずいらっしゃるのではないかと思います。

そこで、浜松の歴史の大まかな流れや、浜松ゆかりの著名な歴史人物についてご紹介します!
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浜松の歴史についてわかりやすく解説


まずは浜松の歴史を、年表形式で時代ごとに見ていきましょう!
旧石器時代から戦前までご紹介しています。

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・旧石器時代
本州最古の人類「浜北人」が生活していたと言われています。
1962年に、浜松市の浜北区にある根堅洞窟から「浜北人」の人骨が出土し、話題になりました。


・縄文時代
北区三ヶ日町にある只木遺跡(ただきいせき)や、北区滝沢町の滝沢鍾乳洞遺跡(たきさわしょうにゅうどういせき)などの市内各所で縄文人が生活していたと言われています。
中区には蜆塚遺跡(しじみづかいせき)という、20数戸からなる集落遺跡も発見されています。


・弥生時代
伊場(いば)遺跡など、各地で米作りをする集落ができて人口が増加しました。


・古墳時代
浜北区の赤門上(あかもんうえ)古墳や北区引佐町の馬場平(ばんばひら)古墳など大きな古墳が作られ、じょじょに遠江国ができあがっていきます。


・飛鳥・奈良時代
浜松市内にいくつかの郡の役所がおかれ、伊場遺跡から出土した木簡には、浜松市の地名のおこりといわれる「浜津」の地名が記されています。


・平安時代
「倭名類従抄(わみょうるいじゅうしょう)」という資料に、当時流行していた万葉がなによって「波万万都(はままつ)」の地名が記されています。


・鎌倉・室町時代
南北朝の分裂によって、浜松市内各所の武将たちも南朝方と北朝方に分かれて争い、井伊城・鴨江城・千頭峰城・三嶽城・大平城などで数年にわたり戦乱が続きました。
1498年:地震による津波で浜名湖に今切口ができ遠州灘とつながり、浜名湖はこれ以後つねに海水の混じる汽水湖となります。


・戦国時代
1570年:徳川家康が武田家への守りを強化するため、浜松城に居城を移します。
1572年:武田信玄が遠江国に攻め込み、三方ヶ原の戦いで徳川家康の軍に勝利します。
1586年:徳川家康は浜松城から駿府城に居城を移します。家康が駿府城に移ったあと、浜松城の代々の城主は、徳川と縁の深い譜代大名が守り、徳川幕府の重要な職についた大名も多かったので、浜松城は出世城とも呼ばれています。

※参照:浜松城と徳川家康の関わりや江戸時代以降の歴史について解説


・江戸時代
1601~1604年:新たに東海道が主要な街道として整えられ、浜松も宿場町となり、また浜松藩の城下町として栄えます。東海道には一里塚がおかれ人や物の往来もより盛んになっていきます。
1760年:国学者・賀茂真淵が浜松の地で「万葉考」を著します。
1854年:安政東海大地震がおこり、大きな被害を受けました。


・明治・大正時代
1871年12月:廃藩置県により浜松藩をあらため、浜松県の県庁所在地になります。
1876年:浜松県は静岡県と合併し、支庁が置かれます。
1911年:浜松に市制が施行され、浜松町から浜松市になり現在にいたります。
1926年:浜松出身の高柳健次郎博士のチームがテレビジョンの実験に成功します。


・昭和時代
1944年:東南海地震による被害を受ます。
1945年:浜松大空襲により市街地の大半を焼失して、終戦をむかえます。

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浜松の歴史を大まかにご紹介しました。

戦争によって大きな被害を受けた浜松ですが、戦後は東海道新幹線の開通や、市内のインフラ整備、浜松城天守閣の再建などが行われ、1982年には人口50万人の大都市になっています。


また、上の年表には、何人かの歴史人物が出てきましたが、そもそも浜松出身の歴史人物にはどのような人がいたのでしょうか。

まずは浜松にゆかりのあり、かつ大河ドラマ「おんな城主直虎」のヒロインとなった井伊直虎という人物について見ていきましょう!

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浜松市と井伊直虎の関係って?


はじめの方でも軽く触れましたが、浜松は井伊直虎ゆかりの地としても有名なスポットになっています。

なぜ浜松が直虎に関係しているのか。
それは、井伊直虎の居城である井伊谷城が、現在の浜松市北区引佐町あたりにあったと言われているからです。

井伊直虎は井伊家第22代当主・井伊直盛の一人娘で、本来井伊家を継ぐはずだった婚約者の井伊直親が主君の今川家に殺されてしまったため、女性でありながら井伊家を支えた人物です。
直虎は政治手腕に優れており、歴代当主として名を残すことはありませんでしたが、井伊家存続の危機を救った女城主として後世に語り継がれています。

直虎が居城としていた井伊谷城は現在は残っていませんが、その生涯を振り返りながら浜松の歴史を見て行ったり市内を探索してみると、また違った発見があるかもしれませんね。

※参照:井伊直虎ってどんな人?年表などを小学生向けに解説!

浜松出身の著名な歴史人物について


もちろん、直虎以外にも浜松出身の歴史人物は他にもたくさんいます。

ここでは、その中でも特に有名な3名の人物について見ていきましょう。

世界のホンダの創業者・本田宗一郎


ホンダの創業者、本田宗一郎は実は浜松出身の人物なのです。

天竜区出身の本田宗一郎は1946年、終戦後まもない荒廃した浜松の地で「本田技術研究所」を創設しました。そして原動機付自転車「ポンポン第1号」をつくり、のちの世界のホンダの創業者として、ものづくりの第一歩を踏み出します。
ホンダイズムと称されるチャレンジ精神のもと、自動車修理工から身を起こして次々と画期的な製品を開発し、ホンダは二輪車で世界のトップメーカーとなります。

その後、四輪車にも進出し、藤沢武夫とともに一代で世界のホンダを創りあげた優れた技術者であり、経営者です。日本人として初めて、米国の自動車殿堂入りを果たしています。

テレビの父・高柳健次郎


「テレビの父」と言われた高柳健次郎という人物についてご存知ですか?

東区出身の高柳健次郎は、ブラウン管による電送・受像に世界で初めて成功した事で「テレビの父」と呼ばれるようになった人物です。1926年、高柳博士の研究チームが世界ではじめて電子式テレビで「イ」の字を映し出すのに成功しました。

終戦後の1946年には、日本ビクターに弟子と共に入社し、高柳自身が中心となりNHK、シャープ、東芝との共同研究によって、テレビ放送技術とテレビ受像機を完成させました。

江戸時代の国学者・賀茂真淵


中区出身の江戸時代の国学者・賀茂真淵は万葉集を中心に研究し、国学を樹立した人物です。

真淵が樹立した国学という学問は、古くから教養としてさかんに学ばれていた漢学に対して、江戸時代に日本独自の価値観を求めて起こった学問で、古事記・日本書紀・万葉集などに見られる古代日本の思想・文化を研究しています。

また賀茂真淵は学者としてだけでなく、歌人としても優れ、万葉調の和歌を復興し1000首ほどの和歌を残しています。

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この記事のまとめ


浜松の歴史をたどると、旧石器時代から現代までさまざまな遺跡や史跡、記録などをみることができます。

また、浜松市は井伊直虎をはじめ、ホンダの創業者・本田宗一郎、テレビの父・高柳健次郎、江戸時代の国学者・賀茂真淵といった著名な歴史人物を輩出している事も見逃せません。


さまざまな魅力がつまった浜松のまち。
以下の記事では井伊直虎が居城としていた井伊谷城について解説しているので、興味があれば一度ご覧になってみて下さいね。

※参照:井伊谷城はどこにあるのか。歴史や現在の様子について!